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「アナウンサー」この6文字に恋しています。

  ①私のいま



私は、今、フリーアナウンサーとして、
ラジオのパーソナリティやイベント司会といった仕事を続けています。
かれこれ、もう30年を越えました。

自分でも凄いなぁと感じています。
沢山の出会いやご縁のおかげで、今も変わらず続けさせていただいています。


その「ご恩返し」という意味でも、

2019年から、ひとりでも多くの悩める方に
「人前で堂々と話すことが出来る」
「ハートに伝わる話し方」を手に入れ、
より人生を輝かせてほしいという思いから
「みなくるアナウンスレッスン」として、
「声」と「話し方」のレッスンを開始しました。
現在は、このレッスンを「みなくるボイス」と呼んでいます。

 


②きっかけ


私がアナウンサーになったきっかけは、
小さいころから、話し方に関する「憧れ」があったことからです。


私は和歌山県の小さな町に生まれ育ち、
この地方独特の方言で育ちました。

テレビっ子で、歌謡曲大好きだった私は、
テレビの中の世界に憧れていました。

そして、物心ついたころから、
私や両親、幼稚園や学校の先生が日常話すことばと、

テレビの中の芸能人やアナウンサーの話し方が全く違ったこと。

「標準語」のちょっと気取ったアクセントと、
流れるようなスマートな話し方が、
とてもキラキラしたことばに思えたのです。


「同じ日本語なのに、どうしてこんなに違うの?」
私の話し方が「普段着」なら
「テレビの中のよそ行きの話し方」に、とても憧れを抱きました。


「いつか、私も綺麗な声で美しい日本語を操れるようになりたい」
そのように思ったのが最初のきっかけと記憶しています。

 

③同級生の活躍を目の当たりにして


さて、地元の小中高校を卒業して大阪の短大に進学した年、
春休みに帰省した際、高校時代の同級生が、
当時流行していた「女子大生DJ」として
地方のラジオ局で活躍していることを知りました。


私は、こころの底から、とてもうらやましく思いました。

表面的には考えたこともなかったのに
「先を越された」ような、キモチになったのを覚えています。



そこで、同級生にお願いして、
あつかましくも番組に出させていただきました。

私にとって、生まれて初めてのラジオ体験でした。


ワクワクしながら出演したのに、
あとで聴き返したら、
やっぱりDJの同級生は、上手に話せている。
にもかかわらず、
私は「自己流」、「自己満足」の話し方でしかありませんでした。



その落差に愕然としたものです。


美しい発音で、
すーっと耳に入ってくるアナウンサーのような「話し方」をしたい。

そんな思いが強くなっていました。

 

④一旦は就職。そしてタレント養成所へ。


 しかし、そんな思いもよそに、
その後、私は、大阪の出版社に就職します。

全く成果が出せなかった営業職からの2年目。
内勤の「営業事務」に移り、これが私の運命を決定づけました。

電話応対の声が、
「南さんって、アナウンサーみたい」と言われることが
何度かあったのです。

その頃から、一旦はこころの底に閉じ込めた
「アナウンサー」ということばが、私に問いかけてきました。

「貴女はアナウンサーになりたいのではないの?」と。



そうして、私は
アナウンサー(ボイスタレント)の学校に通いたいと思うようになりました。

 

ただ、通常の勤務では絶対に通えない平日の午後。
勇気を振り絞って理解ある上司に相談し
なんと、その会社では前代未聞の
「週1回の16時半早退」をして養成所通いが始まりました。



希望を持ってスタートした「タレント養成所」通い。
そこに居たのは、
見た目にも綺麗な人ばかり。

自分に自信を持ったキラキラした人ばかりでした。



身長も低く、
見た目に全く自信が持てないチンチクリンな私は、

「場違いだったのでは?」と思い悩むようになります。

 

なかなか自分自身を出せないまま、養成所の1年間はあっけなく修了。

それでも、私の思いは変わらず、
今から思うと、やっぱり若かったのでしょう。
とてつもない勢いだけの「猪突猛進」だった私です。


養成所を修了するころには、
2年半勤務した会社を辞めて、アルバイトをしながら

私は養成所の母体であるタレント事務所に所属する運びとなりました。

 



(当時の私です。1991~2年頃)


事務所に所属すると、それまでの仲間たちはみんなライバルです。

 

とにかくこの業界では、
テレビやラジオのレギュラー番組を獲得することが

私たちの評価の指標であり、大きなステイタス、
社会的地位や実績となることです。


そんな中で、
「いくら技術的に優れていても、(オーディション)で選ばれなければ意味がない」
ということを学びます。


「タレント」は、「選ばれる人」

「広く一般に受け入れられる人」でなければ存在する意味がないということです。

 

とても厳しい世界です。

オーディションへの切符がなかなか手に入らない。
そんな焦りが出始めると、
ひとりふたりと同期の人たちが辞めてゆきます。

私は、テレビラジオのオーディションメンバーには選ばれなかったけど、
司会などマイクの前で仕事が出来るだけで充分と思っていました。

 


⑤「決心」から、ふるさと和歌山へ!


 

そんな中、私は、ある一つの決心をします。
ふるさと「和歌山」に帰ろうー、ということ。
それも、アナウンサーとして。

 

和歌山のラジオでレギュラー番組を持ちたい。
活躍したい。

そんな思いがどんどん大きくなりました。

大阪の事務所に居るより、和歌山という場所の方が
私には合っているのではないだろうか。

かつて、同級生が女子大生DJとして活躍した「あのラジオ」で話す仕事をしたい。

そんな思いで、実家に帰るたびに、
地方新聞を隅々までチェックして、募集がないか探しました。

そんな最中、ラジオ局の「アシスタント募集」の記事を見つけます。
でも、募集は、和歌山県南部のまち田辺市にある「支局」での勤務でした。
しかも月曜日から金曜日までの帯番組。

 

当時、まだ大阪に住んでいて事務所の仕事もしていた私には、
和歌山に帰ると言っても、それは和歌山市の本局の方であって
支局は計算になかったのです


それでも、まずは応募してみよう、それだけの気持ちで
応募書類を提出し、オーディションを受けたのでした。

 

その時に、ラッキーなことに、
そこの支局長さんが私のことを覚えてくださったのです。

そうして、本社でのオーディションがあれば教えるから、と
話してくださったのです。


その半年後、本社でのアシスタント募集に応募し、
30数人の中から採用された4人の中のひとりに、私が居ました。


もう「絶対に勝ち取る!」という
思いだけで突っ走ったように思います。



その4人は、
早朝、午前中、午後のワイド番組等に振り分けられました。
私は、大阪に居るにもかかわらず、早朝番組を担当することになりました。

無謀なようですが、どうしても番組に就きたかった私は、
最終面接の際、
「早朝番組ですが大阪からの勤務は大丈夫ですか?」と訊く上役に対し、
私は「手段はあります」と答えました。


そうして、3年ほど、週の半分は和歌山の親せき宅、
後半は大阪で、と二重生活でほぼ休みもない日々を過ごしました。


そうして、28歳の時に事務所の仕事を全て辞めて、和歌山に戻ってきたのです。
ラジオ局まで自転車の距離のアパートから通いました。


 

ここで特筆すべきは、
とても厳しい事務所でありましたが、
こんな私にも、所属した5年間にわたって、
結婚式場や百貨店の店内アナウンスといったレギュラーの仕事を与えてくれ、
技術的にも精神的にも育てていただいたことには、
「愛情」以外のなにものでもなく、
本当に「感謝」のことばしかありません。


 





(28年続けたラジオ番組「ゲンキ和歌山市」取材現場から)

 

 

⑥たいせつなこと


フリーアナウンサー、ボイスタレントにとって、
大切なことは、
「人前に堂々と立てる自分でいること」

大きな舞台で堂々と話せるようになるには、
自分自身を受け入れ、相手をも受け入れる、
自分の器を大きくすること
「こころの持ち方」がとても大事と気付かされました。


私の場合は、
タレント事務所に所属してから、和歌山のラジオ局を経た
これまでの30年という月日が、
未熟な私を少しずつ育ててくれたように思います。


 

それが今の私にとって、
かけがえのない「学び」と「宝物」になっています。


今、「話すことが苦手」「人前で話せない」という方に。
私からのギフトを是非受け取って欲しいと願います。


それは、30年間で培った私の「アナウンスのメソッド」です。
私が学んできたアナウンスのメソッドは、
「声」「話し方」のほぼすべてのお悩みを
解決してくれる「盾」となってくれます。



そして、「こころのあり方・持ち方」を学んでください。
「こころを整えること」の大切さを知ってください。


「話すことが楽しい」と知ってください。


これらすべてを取り入れたのが、
「みなくるアナウンスメソッド」なのです。


そうして、勇気をもって一歩踏み出してほしいと願っています。
そうすると、これまでとは全く違った世界が見えてきます。
その一歩が、あなたのこれからの人生をより豊かな
実りあるものにしてくれることは間違いありません。


実際に、私がそうだったのですから!

アナウンサーという肩書を名乗ることが出来る今
私はとてもしあわせです。
そんなかけがえのない「恋する仕事」に出会えたこと自体が
ミラクル。


 

いえ「みなくる」です。



 

是非私、みなくるとご一緒に、
話し方、声を変えて、
「なりたい自分になる!」ことを実現してみませんか?

 



(2021年1月撮影~デビューから32年目)

 

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「雑記」

タイトルの「アナウンサーというこの6文字に恋しています」は、
「アナウンサーになりたい!」という思いでいっぱいになったOL時代から
養成所に通い始めたころ、毎日のように日記につづっていたことばです。
ホントに、ワクワクでしかなかった毎日。
「夢見る夢子」ちゃんはまさに私です。
だからこそ、「思考が現実化」したのでしょうね。
今だからこそわかること。

 

2021年2月20日加筆修正しました。
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